躊躇したら負け。ベトナムの道路が教えてくれた“進む勇気”

VIETNAM

ベトナムの道路で、私は“生き方”を学んだ

ベトナムに住んで8年。
この国での暮らしは、私の価値観を少しずつ変えてきた。

その中でも、毎日のように向き合っている「道路」は、特別な存在だ。

初めて見たとき、思わず足がすくんだ。

信号が変わった瞬間、四方八方から押し寄せる無数のバイク。
車線は形だけ。クラクションは絶え間なく鳴り響き、
人も車もバイクも、互いの隙間を縫うように前へ進んでいく。

日本の整然とした交通しか知らなかった私には、
その光景はまるで“混沌”そのものに見えた。

日本みたいに躊躇していたら、絶対に渡れない。

車が止まってくれるのを待つ。
安全になるまで様子を見る。
タイミングを完璧に計る。

――そんな“日本式の常識”は、ここでは通用しない。

ベトナムで道を渡る方法は、ただ一つ。

流れの中に、自分から入っていくこと。

ゆっくりでもいいから、立ち止まらずに歩き続ける。
すると不思議なことに、バイクの波のほうが自然に避けていく。

最初は信じられなかった。
恐怖で足が止まり、何度も道路脇に引き返した。

けれどある日、覚悟を決めて一歩を踏み出した。

バイクが目の前をかすめていく。
風とエンジン音が体を包む。

「怖い」と思いながらも歩き続けると、気づけば反対側に立っていた。

その瞬間、理解した。

ここでは“待つ人”より“進む人”が流れを作る。


それは運転でも同じだった

バイクに乗り始めた頃、私は常に周囲に遠慮していた。

「今入ったら迷惑かもしれない」
「もう少し安全になってから動こう」

そうやって躊躇するたびに、流れに置いていかれた。

日本なら“慎重な運転”で済む話も、
ここでは“危険な迷い”になる。

なぜなら、周囲は止まらないからだ。

だから学んだ。

日本ではあり得ないけれど、時には強引に行くしかない。

無理に割り込むという意味ではない。
“流れに合わせて、自分も前に出る勇気”が必要なのだ。

アクセルを少し強めに回す。
クラクションで存在を知らせる。
進む意思をはっきり示す。

すると周囲は、それを前提に動きを調整してくれる。

遠慮よりも、意思表示。
躊躇よりも、流れに乗る判断。

それがベトナムの道路で身を守る術だった。


クラクションは“生きるための言葉”

この国では、音が言葉の代わりになる。

軽く鳴らすクラクションは、

「ここにいる」
「通ります」
「気をつけて」

そんな意味を持つ“コミュニケーション”だ。

鳴らさなければ、存在しないのと同じ。
だから周囲は遠慮なく進んでくる。

日本では静かな運転が美徳。
けれどここでは、伝えなければ危険になる。

文化が違えば、正しさの基準も変わるのだ。


道路の王者には逆らわない

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そして、道路には“絶対的な強者”が存在する。

バスだ。

巨大な車体は圧倒的な存在感を放ち、
周囲のバイクや車をものともせず進んでくる。

進路にいれば、容赦なく鳴り響くクラクション。

何度か怖い思いをして、私は決めた。

「バスには近づかない」

戦う必要はない。
避ければいい。

この単純な判断が、自分を守る一番の方法だった。


混沌の中で身についた、生きる力

ベトナムの道路は、優しさだけでは渡れない。
遠慮だけでは走れない。

けれどそこには、この国ならではの“流れ”と“呼吸”がある。

最初は恐怖でしかなかった景色も、
今では自然と体が反応する。

気づけば私は、

流れを読み
危険を予測し
進むべき瞬間を判断できるようになっていた。

あの混沌の中で身についたのは、運転技術だけじゃない。

環境に合わせて生きる力 だった。

今日もまた、バイクの波の中を走りながら思う。

ここで学んだ感覚は、きっとどこへ行っても生きていく。

ベトナムの道路は、
私を少しだけ強くしてくれた。

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